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お茶でも飲んで、ほっと一息ついてみませんか?

日本茶(緑茶)の歴史をやさしく解説!平安時代から現代までお茶1000年の軌跡をたどる。

和風の庭園とお茶

「日常茶飯事」なんて言葉があるくらい、昔から私たちの喉を潤し続けてきた日本茶。

あなたはいつからお茶が日本で飲まれるようになったのか知っていますか?

実は、日本とお茶の間には約1000年もの長い歴史があるんです。

今回はそんなお茶の軌跡を、有名な人物やキーワードも踏まえて見ていきましょう!

古代~中世の日本茶(緑茶)の歴史

まずは古代から中世の時代です。

初めてお茶が登場した平安時代、次に抹茶文化が生まれた鎌倉時代、そしてあの有名な千利休が登場する室町時代を見ていきます。

【西暦800~900年】日本で初めてお茶が飲まれた平安時代

日本で初めてお茶が飲まれたのは西暦800~900年頃の平安時代です。唐(当時の中国の王朝の1つ)に留学していた僧の最澄(さいちょう)空海(くうかい)らが日本に持ち込んだと考えられています。

約1200年前からお茶が飲まれていたなんて、不思議な気持ちになりますね!

この時飲まれていたのは「餠茶(へいちゃ)」という、蒸した茶葉をつぶして固形状にしたお茶です。飲む時はお湯に溶かし、二日酔いなどの薬として飲用されていました。現代人からするとインスタントラーメンみたいにお湯で戻すイメージでしょうか?

餠茶は限られた貴族や僧侶にしか流通せず、一般人には口にできないものだったようです。

このお茶は遣唐使が廃止されると、日本人の好みに合わなかったこともあってか次第に廃れていきます。

平安時代の日本茶

  • 遣唐使や僧によって日本にお茶が伝わる
  • 当時は餠茶という茶葉を固形に加工したお茶をお湯に溶いて飲んでいた
  • 薬として飲まれていた

【西暦1190~1300年】栄西がお茶を復活させた鎌倉時代

鎌倉時代に入ると、僧の「栄西(えいさい)」が日本では下火になっていたお茶を復活させます。

1195年、彼は宋(当時の中国の王朝の1つ)から茶の木の種を持ち帰り、福岡県と佐賀県にまたがる脊振山(せぶりさん)に植えました。

当時飲まれていたのは、碾茶(てんちゃ)というお茶でいわゆる抹茶です。この碾茶は蒸した茶葉を揉まずに乾燥させ、石臼で引いて作られます。

味は苦かったらしく、修行時の眠気を覚ます効果や薬としての効果があるということで他の僧にも広められました。

茶葉に含まれるカフェインは覚醒効果、苦み成分のカテキンは抗酸化作用やがん予防に効果があるとされています(農林水産省「栄養面から見た日本的特質 表1」)。

テスト前に徹夜していた頃の自分に教えてやりたい・・・という話はおいといて、実際にお茶は修行や瞑想と相性が良かったんですね。

栄西は京都の明恵上人(みょうえしょうにん)にお茶を勧めると、明恵上人は京都の高山寺(こうさんじ)に譲り受けた種を蒔いて、日本最古と言われる茶園を作ります。

鎌倉時代の日本茶

  • 栄西によって再び日本でお茶が飲まれるようになる
  • 碾茶(抹茶)という蒸した茶葉を揉まずに乾燥、石臼で引いたお茶
  • 薬や修行のために飲まれていた

【西暦1300~1600年】茶道が確立された室町時代

抹茶

室町時代には武士にも嗜好品としてお茶が浸透します。

例えば「闘茶(とうちゃ)」と呼ばれるお茶の産地を当てるギャンブルや、高価な中国の茶器を使ったお茶会などが開かれていました。ちょっと現代人のイメージする、風流なお茶の雰囲気とは真逆なのが驚きです。

派手な喫茶文化に革命を起こしたのが「村田珠光(むらたじゅこう)」や「武野紹鴎(たけのじょうおう)」といった人物です。

彼らは「侘び寂び(わびさび)」の精神に基づいた「侘茶(わびちゃ)」(茶道)を形作り、武野紹鷗の弟子「千利休(せんのりきゅう)」が昇華させます。

補足すると、侘び寂びとは質素なものや静かなものに美しさを見出す価値観のことです。

千利休は豊臣秀吉のお茶会を仕切る役職「茶頭(さどう)」に重用され、侘び茶と抹茶文化を大きく発展させていきました。

ちなみに同じく室町時代の1504年には、佐賀県の嬉野へ移住した中国の陶工によって釜炒り茶が伝わりました。

釜炒り茶についてはこちらの記事をご覧ください。

室町時代の日本茶

  • 村田珠光や千利休らによって侘び寂びの精神に基づく侘び茶(茶道)が作られる
  • 武士や時の権力者たちにも嗜好品としてお茶が浸透していた
  • 九州では中国の陶工から釜炒り茶が伝わった

近世~近代の日本茶(緑茶)の歴史

続いて、近世から近代の歴史を見ていきましょう。

現在日本で飲まれているお茶No.1の煎茶が出来上がった江戸時代、お茶が国の重要な輸出産業となった明治・大正時代です。

【西暦1600~1800年】煎茶や玉露の基礎ができた江戸時代

江戸時代では貴族や武士が抹茶を飲んでいる一方、庶民たちには中国の僧「隠元隆埼(いんげんりゅうき)」や「売茶翁(ばいさおう)」の広めた急須で淹れるお茶が浸透します。

しかし、庶民が飲んでいたのは色が茶色く香りや味も粗末なお茶です。そんなお茶を京都の農家だった「永谷宗円(ながたにそうえん)」が、長い年月をかけて香りのある緑色のお茶に改良。

新芽を蒸して揉む「青製煎茶製法(あおせいせんちゃせいほう)」という、現在の煎茶の基礎となる製法を考案します。

宗円のお茶に感動した茶商「山本嘉兵衛(やまもとかへえ)」は江戸で委託販売し、このお茶が全国に広まっていきます。

その後製茶メーカー「山本山」として成功をおさめ、6代目の山本嘉兵衛が玉露(ぎょくろ)の原型を開発しました。玉露は香りや甘みが強い高級な日本茶です。煎茶と同じ加工方法ですが栽培方法が異なります。

宗円が改良した青製煎茶法が全国に広まりお茶産業が発展すると、次第に海外(主にアメリカ)へと輸出され始めます。

江戸時代の日本茶

  • 庶民の間でも急須を使ったお茶が飲まれ始める
  • 永谷宗円が現在の煎茶の先駆けとなる製法を考案する
  • 山本山6代目の山本嘉兵衛が玉露を開発する

【西暦1800~1900年代】日本茶が輸出された明治・大正時代

大正時代頃の茶園風景 ©THE NEW YORK PUBLIC LIBRARY DIGITAL COLLECTIONS

幕末や明治でのお茶は生糸に次いで輸出され、国の経済を支える存在だったといっても過言ではありません。日本茶の海外輸出時には「蘭字(らんじ)」と呼ばれるラベル広告が使われていました。これは欧米におけるジャポニズム(日本ブーム)と、同時に日本のグラフィックデザイン文化を芽生えさせました。

明治後期になると、茶葉の輸出量は約2万トンという驚きの数字になります。これは簡単に例えると東京タワー5つ分です(東京タワーは約4000トン)。

それだけ輸出量が増えれば当然と言えば当然なのですが粗悪な茶葉も増え、アメリカ市場における日本茶の信用が低下。政府は1883年(明治16年)に不正なお茶の製造や輸出を禁止する「茶業組合準則」を公布するなどの対策を講じました。

大正時代に入るまで多く輸出されていた日本茶でしたが、ぐいぐい攻めてくる紅茶との競争や物価高騰の影響で段々と需要が下がっていきます

1917年(大正6年)には第1次世界大戦の影響で一時的にピークを迎えるものの、やはり減少の一途をたどります。

明治・大正時代の日本茶

  • 日本の重要な輸出産業となって、明治から大正にかけて輸出の全盛期を迎える
  • 日本茶の輸出に際して蘭字が使われ、日本のグラフィックデザインの先駆けとなった
  • 大正時代は紅茶との競争や物価高騰などの影響で、海外からの需要が下がる

現代・将来の日本茶(緑茶)

いよいよ現代編です。ペットボトル飲料が登場するなど、お茶に対する認識がガラッと変わる時代です。

現代のお茶を見た後は、日本茶の将来を考えていきたいと思います。

【西暦1900後半~】ペットボトル茶が登場した昭和・平成時代

昭和に入ると、茶葉は太平洋戦争などの影響で国内生産量も減少。戦後は食料生産が優先されたため、お茶の生産量が回復したのは1950年頃です。

1975年(昭和50年)には、国内のお茶生産量が戦後最大の10万5千500トンを記録し、ここから輸出よりも国内での消費がメインになります。

そしてついに歴史が動いた1990年。平成に入り伊藤園からペットボトルのお茶が発売され、外出してもお茶が楽しめるようになりました。

今でこそペットボトルのお茶は生活に馴染んでいますが、当時は急須で飲むお茶が一般的であったため、外出先でお金を出してまで買うという感覚はありませんでした。

ところが、結果的には手間のかかる急須で淹れるお茶から、購入してすぐに飲めるペットボトル飲料の方が人気になっていきます。

データでお茶の消費を見ていくと、平成13年には1世帯あたりの急須で淹れるお茶の年間消費金額が6,432円だったのに対し、平成27年では4,098円と減少しています。

一方、ペットボトル茶飲料は平成13年の4,434円から平成27年には6,151円と急須で淹れるお茶と逆転しています。(農林水産省「茶をめぐる情勢(PDF)」)。

もはや若者だけでなく日本人の急須離れと言えるような状況です。今ではむしろ茶葉を買う時の方が特別に感じる人も多いのではないでしょうか?

昭和・平成時代の日本茶

  • 高度経済成長で輸出よりも国内の需要が大きくなる
  • ペットボトルのお茶が登場して急須で淹れるお茶とペットボトル茶飲料の消費が逆転する

【2000年代~】今後の日本茶はどうなる?

さて、あまり飲まれなくなっているお茶ですが、将来はどうなっていくのでしょうか?

日本茶には、現状こんな課題があります。

日本茶の課題

  • 茶園農家人口の減少と高齢化
  • 少子高齢化による国内需要の低下(購入者の減少)
  • 中国茶や紅茶との競争
  • 新しく開拓したいEU市場の嗜好の違い

中には大正・昭和初期の輸出時と同じく、海外茶との競争も課題です。

これらの課題には農林水産省や地元自治体による生産設備のフォロー、EU市場の嗜好にあった有機栽培緑茶などの開発といった試みが行われています。

もちろん、明るいニュースもあります。政府はジャパンブランドの確立に向けて2020年までに海外への緑茶輸出金額を150億円に設定しました(農林水産省「茶の輸出戦略(PDF)」)。

2012年の輸出金額は50.5億円だったので、その約3倍という目標は「難しいのでは?」と感じますが、実はそんなに不可能な目標ではありません。

昭和に入ってからずっと国内消費がメインだった日本茶は、最近海外での需要が徐々に高まっているんです。

理由としては健康志向の高まりや和食ブームが要因であると言われています。

このビッグウェーブを逃さず、2017年にはすでに輸出金額が144億円を突破。だから着実に2020年の目標へ向かっていたんです!

様々な課題はあるものの、期待のまなざしが急須で淹れるお茶に集まっています。今後も応援していきたいですね。

日本茶はどうなる?

  • 少子高齢化や海外のお茶との競争、新しいお茶の開発といった課題がある
  • 日本茶ブームで海外の日本茶の需要増加が期待されている
  • 政府は2020年の緑茶輸出金額を150億円に設定

日本茶(緑茶)の歴史:まとめ

日本茶の歴史(緑茶)の歴史:まとめ

約1000年前からずっと日本人の喉を潤し続けてきた日本茶。

中国から持ち込まれた後、長い時をかけ独自の文化として発展しました。

現在では様々な課題を抱えつつも、海外からの需要が高まっています。今後も続々と新しいお茶が開発されたり、新しい試みがなされるかもしれません。今後の動きに注目ですね!

CHAzineでは他にもレビューしたお茶や豆知識を紹介しています。ぜひ、あなたのお気に入りのお茶を探してみてください。


参考

参考サイト

参考書籍

  • 日本茶のすべてがわかる本-日本茶検定公式テキスト
© 2019 Eimee Inc.